立ち位置、視点を移動する
お久しぶりです。
時間が幻想であるなら、いつかどこかに「望みを叶えた自分」がいて、今このブログを読んでいる自分はそれとは違う場所にいる…
それは私たちの持っている最大の錯覚のひとつでしょう。
(※厳密には錯覚はただ一つだけなのですが、その現れのひとつと言うことで)
今朝のツイートで触れたとおり、今それを望んでいる自分も、既にそれを体験し終わっている自分も同時にいる、ひとつの存在なのだとしたら、「望む」「得る、叶う」は同時にあるということです。
上記のツイートでは、同じ場所にいてどちらの視点をとるかで自分がその立ち位置を選んでいるということを書いたのですが、
「どちらの視点?」
「既に持っている自分の視点を選ぶ?」
「難しいわー」
「つまりそれどうすりゃいいんだってばよ!」
となった方もおられると思います。
ここで、シンプルなコツを挙げてみたいと思います。
「視点を選ぶ」と聞くと
「はいはい、既にそうなった世界の自分になり切って眺めたらいいのね…
なりきれんわ!そんなんはっきりイメージできんし実感わかんわ!」
となるかも知れませんね。
では、その自分に「なって」はいったん忘れておきましょう。
そのかわり、「何を見てるか」に意識を向けてみるのです。
そもそも、「既にそうなった世界、そうなった自分」をイメージできないのは、個人の視点で「まだそれを体験してない、見てない」からだと思います。
だから(あくまで個人の視点では)そんな実際にあるかどうかもわからない自分になんてなれないしその視点なんて持てない、となるのだと思いますが、
では、今現在そこにいる「望んでいる自分」「まだそうなっていない自分や世界」はどうでしょう?
それならば実感を伴って明確に見えるのではないでしょうか?
なんせ個人の身体感覚ではまさに今そうなのだから。
この今現在「望んでいる自分」「そうなっていない自分」を見るイメージをしてみるのはどうでしょう?
今の自分が未来の自分の立ち位置になり切ってその視点をイメージするのではなく、最初からはっきり実感できている「今の自分」を眺めてみるのです。
あなたの存在、あなたの動作、あなたを取り巻く人たち、出来事、世界…
それを意識してみる、外側からあなたを含むすべてを眺めてみる。
あなたが実感する「今現在の自分」をイメージしてみる。
それが「既にそうなっている自分」の視点です。
なぜそんなにはっきりと「現在の自分」をイメージできるのか?
それは「記憶を読み込んでいる」からです。
なぜ記憶なのかって?
あなたがそう決めたからです。
「今はそうである」と決めて、それが書き込まれている書物(記憶)を今読んでいるのです。
その記憶を読み込んでいるとき、あなたは既にそうなっている世界にいる自分の立ち位置で「ああ、そういえばこんなこともあったな」と思い出しているのです。
その立ち位置にいるとき、あなたが今読み込んでいる記憶とのギャップは勝手に埋められていくでしょう。