引き寄せない、叶えない、すべては既に在る

奇跡も魔法も、特別なことなんて何も必要ありません。あなたは既にすべてとともに在るのだから

今この瞬間見ている何でもありの夢の中

誰かが何かを言ったことが心に引っかかって今に集中できないということはよくあると思います。

あるいは何かのタイムリミットが刻々と迫ってきているのにいっこうに現実が変化する兆しがなくて焦りだけが強くなる、そういう状況に陥っている人も多いかもしれません。

 

でもその言葉を発した誰かは今どこにいるのでしょう?
その言葉は今どこを漂っているのでしょう?

イムリミット?

誰かに「ここが期限だ」と宣告されたのでしょうか?

それとも自ら「この時期までに現実が変わらないとまずい!」と設定したのでしょうか?

それもまた記憶ではないでしょうか?


私たちが今この瞬間にしか存在できないのなら、記憶は実体のないただの幻にすぎなくて、その記憶に反応している思考も感情も同じく幻ということになります。

存在しないものに反応することはできないし、そもそも反応というからには後付け、つまりこれも存在しないはずの時間軸が必要になるのでそもそも反応など本来できないのです。

 

そして自分の現実というストーリー、自分の意思だと思っていた選択、それも単なる記憶への反応に過ぎないのだとしたら、私たちが「これが自分だ」「自分の意思だ」と思っているものはいったいなんなのでしょう?

そんなもの本当はないのだとしたら?

私たちは記憶に反応している思考や感情を自分自身だったり自分の主体的な選択だったりすると思い込んでいるけど、そもそも記憶自体が今この瞬間実在しないものであれば、それに対する反応だって実体のない幻ということになります。

つまり私たち自体も幻、本当は実在していない…?
だから今この瞬間には私たち自身すら存在していないまったくの虚無…?


…とここで巨大な矛盾がひとつ


その「実在していない自分に気づいている存在」はなに?
実在していないはずの思考や感情を観察して、あるいは入れ込みすぎてしばしば「これが自分だ!」と同化してしまっている存在はなに?

そう、それこそが私たちの本当の「意識」なのではないでしょうか?


その意識が存在するのは正真正銘の「今この瞬間」のみ
何も存在しないはずの虚無に存在し、何も起きていないと同時にすべてが起きているという矛盾を超越した空間にいる存在


それが私たちの正体なのであれば、どうあがいても私たちはすべてが既に在る永遠の今この瞬間から動くことはないのです。

すべては矛盾を超越した意識が鑑賞している幻、つまりなんでもありの夢の中です。
なんでもありであるがゆえに、私たちが自ら課した制約すらその夢の中では有効に設定されています。

ないはずの時間軸を知覚し、ないはずの過去に反応し、実在しない自分を演じて反応に過ぎない思考や感情を自発的な自分の意思だと思い込んでいる、そんな制約を設定した超絶的にリアルなロールプレイングゲームをプレイ中、それが私たちなのでしょう。

 

ではプレイ中のキャラに入れ込むのはほどほどにして、その制約など最初からなかったことに気づく、望みを叶えるために叶ってないという設定を瞬時に持ち込んでいることに気づくとどうなるでしょう?

 困難な状況に陥っている主人公の思考や感情と同一化して一緒に苦しんでいることに気づくとどうなるでしょう?

 

「いやいや、そうは言っても目の前の現実はリアルだとしか思えないよ!」と感じるかもしれませんが、目の前に見えている現実も私たちが設定している制約(観念)に対する反応、つまりは実在していない幻だと気づいていると、後には何が残っていくでしょうか?


私たちが仮想の現実世界で人間を演じている以上、五感を通した知覚は脳内にリアルな記憶をイメージさせるでしょうし、時間の流れも認識するでしょう。
でもそれでありながら、たとえ1秒でも時間の厚み(過去~現在~未来)を構成するもの(記憶とそれに対する反応としての思考や感情)は存在しない幻だと気づいている、その姿勢を取り続けていると、その認識を世界は投影せざるを得なくなるでしょう。

 

 

 

Twitterやってます

ココロノタビビト(@cokoronotabibit) | Twitter